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先日、ぐみちゃんと買い物に行ったときのこと。
母子で買い物をしている人がいて、「これ似合うんじゃないかな。」「そうかな。」というやり取りを見て、少し懐かしくなって、胸が痛くなりました。
ボクも、高校生の頃とか、母親と買い物に行きました。
お金もないし、服を買うには、親のお金しか頼るところがなかったから。
でも、かわいい服は買えなくて、そうなると大体ワンパターになってしまって。
店員さんには、普通の(?)母子として映っているわけで、やっぱ女の子らしいものをすすめる訳です。
でも、うまく言えなくて、母がよくフォローしてくれていました。
あの時の、母の気持ちはどんなんだったんだろう。って今になって考えてみたりします。
複雑だったのか。
何も考えていなかったのか。
離れて暮らしていたころ、久々に実家に帰って買い物に行こうってなったときに、衝撃の一言を母から言われました。
「お父さんが、もっと女の子らしい恰好をしたらどうか。って。それで、ミュールを買ったらどうか。」って。
それまで、そんなことは言われたことがなくて、構えていないこともあって、何て返答したらいいのかわからなくて。
「ごめん。ミュールとかは、はけない。」みたいなことを言った記憶があります。
父は、ボクを女の子として見ていて、いろいろと期待するものはあったようです。
カムをした後は、とてもショックだったことを母に言っていたそうなので。
ぐみちゃんとも、しばらく会わず、「会えないかな。」といっても、無視する有様でした。
ボクの気持ちだけを押し付ける訳にもいかないから、傷つくけど、そのたびに「いつか。」とも思っていました。
今は、おさまるところにおさまって、ボクという人間を認めてくれているまではいかないかもしれませんが、
なんとなく、流れる時間の中で生活できています。
理解するまで、受け止めるまでには、それぞれの時間があって、そこに至るまでには言われた側にとっての苦労もあるのだと思います。
母の言った「仕方ない。」は忘れることのできない一言です。
母も父も、ボクという人間を受け止めるために、いっぱい悩んで、考えたのだと思います。
テレビを見て、電話をしてくれました。
病院に一緒についてきてくれました。
新聞のセクマイ関係の記事を送ってくれました。
パートナーと会ってくれました。
家を買う時に、「あきらめるな。簡単に泣くな。」と叱ってくれました。
これは、ボクが知っていることや見てきたことです。
知らないところで、見ていないところで、もっと多くのことをやってくれていたのかもしれません。
だから、ボクは多分、体を変えないでいられるのかもしれません。
生まれたままの姿で、自分に誇りをもって生きていきたいと思っているのかもしれません。
母と父が、生まれたときに、大事に大事につけてくれた名前を、大切に生きていきたいと思っているのかもしれません。
