考えたこと。 | 22:06 |
先日、ふとテレビを見ていました。
「相模原殺傷事件」の特集でした。
容疑者は、障がい者に対する差別発言があったようで
「税金の無駄」
「障害があって、家族や周囲も不幸だと思った。事件を起こしたのは不幸を減らすため。」
などと言っていたようです。
(Wikipediaで調べました。)
その特集の中で、知的障がいの子どもをもつお母さんが出ていました。
その中で
「容疑者の言っていることに対して、そうじゃないと思う感情もあるけれど、そうかなと思う部分もある。
実際、うちの息子は何かの役に立つわけでもないし
税金だって納められるわけじゃない。」
のようなことを言っていました。
小さい頃は、息子さんと目を合わして会話をすることもままならず、かわいくなかった。
自分ができるようになると思ったことは、絶対できると思って、殴ってまで教え込んだ。
そんな親子関係だったようです。
「受け入れることができるまで、長い時間がかかった。」と言っていました。
実は、ボク自身、父に「この子は、性に関する障がい者なんです。」と周囲の人に言ったことがあります。
その時、ボクもその場にいたのですが、不思議と傷つかなかったというか。
仕方ないな。という感情がありました。
カムしてから、しばらくして、母にこんな風に言われたことがあって
「お父さんは、あんたが結婚して、子どもを産んでという夢をずっと描いていたのよ。
それが、できないってわかったときの、気持ちは言葉では言い尽くせない。」と。
化粧もせず
スカートもはかず
女性らしいことなんて、何もしたことがない
彼氏ができたなんて、微塵も感じさせるようなことがなかったボクを見て、そんな風な感情を抱いていたんなんて、ちょっと信じられませんでした。
普通の人とは違う=障がいを持っているんだと思うことで、自分自身のどこにも出せない感情をうまく処理していたのかなとも思います。
だって、「うちの子が好きになる対象は、同性なんだよ。」なんて、簡単に口に出せるようなことではないでしょう。
だから、その特集の中でお話をされていたお母さんと、ボクのお父さんがかぶったんです。
「もしかしたら、自分のお父さんもこんな感じだったんだろうか。」と。
でね、容疑者は、「周囲にいる人は不幸だ」と言っていたようなのですが、
特集を見ている限り、お母さんと息子さんは幸せそうでした、すごく。
日常がとてもかけがえない感じで、そりゃうまくいかずやきもきすることも多いような感じだけど、その子の一つの行為に対してのお母さんの表情が、とても優しそうで。
外から見た景色とか、感情はあくまでも、その人固有のものであって、勝手に「あいつは、何も生み出さない」とか「不幸だ」って決めつけるのは、ほんと浅はかだと思いました。
息子さんがいることによって、お母さんが生かされているように感じました。
ボク自身も、職場で一人暮らしで、誰もいない家に帰っている。と思われていますが、実際は違います。
「パートナーがいて、幸せだ。」と叫びたいけど、でも今の生活を守りたい。
知っている人が知っていてくれたら、それでいい。
その思いのほうが強いから、ボクは自分の本当の姿を言いません。
誰しもが、「自分はね、こうなんだよ。」と語れるほどの、プライベートをもっているわけではない。とみんながわかっていたら、みんな幸せになれるのに。
父には、今のボクを見て「これでよかったのかな。」って思ってくれていたら、うれしいです。
ボクは今、幸せだから。